私の人生の残りは38年。人生観がゴロッと変わった瞬間

カテゴリー:いま・ここ・私

公開日:2017.05.23

私の人生観がゴロッと変わった時。その「瞬間」をよく覚えています。

2013年2月1日午後8時ごろ。その時、私は38歳(数え年)。この日は母が亡くなった日であり、午後8時は死から数時間が経過したタイミングでした。

私の意識は、この時を境に
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私の残りの人生は『38年』
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と仮定して、死を受け止めたかのように、逆算した生き方をするように変わりました。2012年+38年=2050年。「命の時間」を非常に意識した生き方に変わったのです。

だから『2050年』という年号が私には人生を全うするであろう年として、大変、大切な年号になりました。経済指標やそういった目線で捉えた2050年ではありません。

私の母は私に大きな大きな愛情と智慧を残してくれました。ものすごいものすごい、とてつもなく「勇気」と「覚悟」がある人でした。とてつもない大きな包み込む「愛」を持っている人でした。

それは生きていた過程においてもそうでしたが、自分の死の締めくくり方にも全てが表現されています。残された人間に争い事が起こらないように、あらゆる毒素を自分で一手に引き受けて、あの世へ持っていったような死に方でした。

しばらくして遺品を整理する事になるのですが、整理整頓された彼女らしい計算し尽くされたような遺品を目にし、私は感じとりました。そこにはやはり深い愛情がありました。

 

2050年に何を遺しておきたいか?

さてその頃、私の息子たちは0歳と1歳。まだまだ小さな小さな命。赤ちゃんです。私自身を襲った生死をさまようような出来事に加え、この母の生き様と「死」が「カチっ」と音がする私の「スイッチ」になりました。

私はこの子たちの未来に、何を遺してあの世へ逝けるだろうかと自然に考えるようになりました。母は私が38歳で死んだのだから、残りの時間は38年。

「38年後の2050年に何を遺しておきたいか?」それを描くようになりました。不思議な事に生き方がとても「楽」になりました。楽しく・自然で・軽やかになりました。

私の意識変化は振り返れば、中年期を迎えた38歳に母の死がターニングポイントとなって起こったことです。知らず知らず導かれたことなのかもしれませんし、偶々なのかもしれません。

今日の朝、偶々、ユングの「人生の正午」というお話を目にしました。ユングが言っているだろう『意味』を自分に当てはめて見た時、「さーぁ、前へ進みなさい!残りの人生を捧げるために」と言われているような気持ちになりました。

ユングの「人生の正午」

投稿者プロフィール

有川 凛
有川 凛
財団法人RINDA foundation JAPAN創設者/代表理事
株式会社らしゅえっと代表取締役
NPO「恩渡しネットワーク」代表

2014年1月より、「生きやすさ」と「循環(持続可能性)」の2つのキーワードを活動ポリシーに、除菌水シリーズ「まましゅっしゅ」の商品企画、制作、販売。2年連続で「キッズデザイン賞」を受賞し注目を集める。

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