小学生の時、恩師に繰り返し言われていたことの一つに「社会や歴史は名も無い人が作ったんだ」というのがある。
歴史に名を残している人はほんの一部で、その時その場所には、何万人もの名もなき人がいて、歴史には残らない日常を生きていた。そういう名もなき日常が集まって今ぼくたちの生活を作っている。
そんな言葉が、当時のボクの心に掴み所のないけれど強いインパクトとして残っている。
そう、有名であること、名が残っていることだけが重要ではない。
ボクが「民藝」の器にはまっているのはもしかしたらこの言葉の影響なのかもしれないなぁと思う。
名も無き職人の手から生み出されたものなかにも美術品に負けない美しさがある。美は生活の中にある。
ああ、本当にそうだ。
そうやって考えていると、子供たちの言葉や生活の中にも美が隠れているんじゃないかと思う。決して世には残らないけど、いま、この教室で生まれる美しさがきっとある。
そんな気がしてならない
最近、若松英輔さんの本をとおして、“志樹逸馬”という詩人を知った。
名も無き詩人。どうしても気になって、国立図書館まで行き、詩集を手にした。
それから、何度も何度も声にだして読み返している。圧倒される。声に力が入る。一つひとつの詩に、重ね重なりながら読む。わかったような気になる。それでも言葉にならない言葉や想いが溢れてきて、何とも言えず、また声に出す。
なぜ世間から断絶された人がこれだけ世界を自分を広く広く感じられたんだろう?
世界を知ることは、広く遠くに行くことだけじゃないのかもしれない。
自分の足元を深く深く掘っていくこと。
言葉によって世界と自分を捉え続けていくこと。
その尊さと難しさを想う。
私の小さい手に
志樹逸馬
わたしの小さい手に
世界の大きい手の
そえられていることを感じる
世界を見れば
わたしがどのように
つくりかえられてゆくかを
感じる
わたしを見れば世界が
世界を見ればわたしが
わかってくるように
思える
投稿者プロフィール
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ボクは、トイトイ。
ごくふつうの町のごくふつうの学校でせんせいをしている。
「せんせい」と呼ばれるのは少しくすぐったくて、
子どもたちからは「トイトイ」って呼んでもらっている。
ここで話すのは、ボクが子どもたちと一緒に見聞きしたこと。 学んだこと。考えたこと。
そんな何気ない日常のひとかけら。
ごくふつうの日々だけど特別で大切な言葉で綴られた物語。
【とし】「お兄さん」から「おじさん」と呼ばれるようになってきたぐらいの年。
【すき】あるく。ラムネ。本。料理。
【きらい】すぅーっとするもの。
【学ぶ】ことば。てつがく。
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