言葉にすると
「余白」が現れてくる
本当に言葉にしたかったコトバはこれなのか
言葉にしてみたけれど足りない何か
言葉の余白
その余白を埋めようと
また言葉にしてみても
言葉にすればするほどその余白が感じられる
それでも言葉にするのは
言葉には収まらないコトバに触れる事ができるからなのだ。
言葉にはコトバが内包されている
だからなんてことはない言葉に
突き動かされたり
励まされたりするんだ。
ノートの隅にこんな言葉が書かれていた。誰の言葉だったか、若松英輔さんかな?
改めてジーンと胸に響くものがある。
これまでぼくは、言葉の有限性に、対話の可能性、読み合い、学び合う意味を見出してきた。同じ言葉でもそれを支える経験やイメージは違う。だからそれを擦り合わせていく事が学びなんだと。言葉にした時の微妙な違和感に言葉を重ねていくことで、納得解を作っていく。つまり、言葉にはならないものにそれぞれのイメージや物語を重ねていく、このレイヤーを重ねていく事が読み合う、考え合うって事なんだろうと。
でも最近はもっと個の中で起きていることに関心があって、言葉にする。言葉に書くってこと自体が、言葉にしきれないコトバに触れる作業でそこに大きな働きがあるんだと考えている。
この数年、子どもたちと詩を書いてきて、自分の言葉にハッとすること、言葉の中に言葉にできないコトバ(おもい)も内包されているんだということ。そういう気付きがたくさんあった。(こうして言葉にするとキレイになってしまうのだけど…もっと荒っぽい感覚)
で、書き続けることで、平易な言葉の中にある「おもい」や、ほっておけば消えてしまう気持ちや考えに気がつく感度みたいなのが高まっていく。
詩じゃなくてもいい。手紙でも。それも人へ向けたものじゃなくていい。言葉に綴ることが他者ではなく自分に向いたものなんだと改めて実感してる。
投稿者プロフィール
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ボクは、トイトイ。
ごくふつうの町のごくふつうの学校でせんせいをしている。
「せんせい」と呼ばれるのは少しくすぐったくて、
子どもたちからは「トイトイ」って呼んでもらっている。
ここで話すのは、ボクが子どもたちと一緒に見聞きしたこと。 学んだこと。考えたこと。
そんな何気ない日常のひとかけら。
ごくふつうの日々だけど特別で大切な言葉で綴られた物語。
【とし】「お兄さん」から「おじさん」と呼ばれるようになってきたぐらいの年。
【すき】あるく。ラムネ。本。料理。
【きらい】すぅーっとするもの。
【学ぶ】ことば。てつがく。
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