本当に自分の言葉なのか?
自分内側から湧き出た言葉なのか?
どこからか借りてきた言葉。
人の言葉。
聴き触りのいい言葉。
もっともらしい言葉。
ふわふわと浮いている言葉だ。
その乖離した感じにふと恥ずかしくなったりする。
でも、言葉はもともと僕の中にあったわけじゃない。
たくさんのヒト、本、経験、との関わりによって少しずつ溜まっていったものなんだ。
あの人が言ったあの言葉が僕の中を通って放たれたその言葉はやっぱり僕の言葉なのだろうか?
行動や実感のない言葉は、自分の言葉じゃないんだ。
言葉にすることで、思考が実現するってこともある。
その言葉に自分を重ねていく、近づけていく。
投稿者プロフィール
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ボクは、トイトイ。
ごくふつうの町のごくふつうの学校でせんせいをしている。
「せんせい」と呼ばれるのは少しくすぐったくて、
子どもたちからは「トイトイ」って呼んでもらっている。
ここで話すのは、ボクが子どもたちと一緒に見聞きしたこと。 学んだこと。考えたこと。
そんな何気ない日常のひとかけら。
ごくふつうの日々だけど特別で大切な言葉で綴られた物語。
【とし】「お兄さん」から「おじさん」と呼ばれるようになってきたぐらいの年。
【すき】あるく。ラムネ。本。料理。
【きらい】すぅーっとするもの。
【学ぶ】ことば。てつがく。
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