父が亡くなる前に、ずっと
「インドの最南端にあるカーニャクマリに行きたい!
あそこになんかあるんや!」
と言い続けてました…
白血病だった父を連れてそこへ行く計画と実現に向けた準備を
主治医の先生も巻き込んでしていましたが
行こうとした直前に父の病状が悪化して
最後は私だけが一人、カーニャクマリへ行き
病床の父にライブで現地を配信し続けた3年前…
カーニャクマリへ行き、そこにあったのは
観音様のような大きな
「ヴィヴェーカーナンダ」の像…
そして数々のメッセージ…
遥々、日本からインドの最南端に行き
受け取りましたがな…
「ヴィヴェーカーナンダ?知らんがな…誰やねん?」
って思いましたけどwww
お父さんも変人ですが、ヴィヴェーカーナンダも変人でした…
そんな人をこの世では「聖人」と言うらしいです…
—–
【ヴィヴェーカーナンダの言葉】
●あなたは存在する一切である。
目醒めて立ち上がれ。
おお、強いものよ、
この眠りはあなたにふさわしくない。
目醒めて立ち上がれ。
このままではあなたに似つかわしくないではないか。
あなたは弱くてみじめだと思うな。
至上万能なるものよ、目覚めよ、そして立ち上がれ。
あなた自身の本性をあらわせ。
●決して「否、ノー」というな。
決して「私は出来ない」というな。
あなたは無限なのだから。
あなたは何でも出来る。
あらゆることがあなたにとっては可能である。
あなたは全能なのだ。
●完成は得られようとしているのではない。
あなたはすでに完全である。
あなたはその場で偉大である。
小さな事を考えて人を批判するな。
神そのものである自分に気付け。
あなたの心を覆っている迷信を駆逐せよ。
●神はあなたの享楽する富の中にもある。
神はあなたの心の中におきる欲望の中にもある。
神はあなたが欲望を満たすために買う品物のなかにもある。
●我々はあらゆるものを、神自身で覆わなければならない。
いつわりの楽天主義によるのでもなく、我々の目を悪に対して
ふさぐのでもなく、あらゆるものの中に神を見なければならないのである。
●石や木は決して法則を破る事はない。
しかしいつまでたっても石は石であり、木は木のままである。
ただ人間だけが、束縛や法則を乗り越えて、運命と戦って
これに打ち勝つ力を恵まれているのである。
●我々不死なる、永久に純粋なる、完全なる霊を、小さき心や、小さき身体だと考えるな。
これこそ一切の無知のもと一切の利己心の母体である。
人間はたとえ見かけが弱くとも、すべて光栄ある不滅の児である。
これが真理である。
●諸君が欲するすべてを持て!
ただ真理を知れ、それを実現せよ!
諸君の存在の全ての部分に神があることを知れ。
世界はたちまちにして天国と変わるだろう。
●幸福よりも一層多くを教えてくれるものは不幸である。
富よりも一層多くを学ばせてくれるのは貧乏である。
また、内面の火をかきたててくれるのは、賞賛よりも攻撃である。
●あなたが世界中探しまわっていた相手、神殿で泣きつつ訴えた相手、
雲に包まれて一切の神秘中の神秘として見えなかった相手、真理、
神はあなた自身であり、あなたの中にいる。
雲に包まれて一切の神秘中の神秘として見えなかった相手、真理、
神はあなた自身であり、あなたの中にいる。
●私は生まれる事のない、死ぬ事の無い、浄福にあふれる永遠なる大霊である。
このことを昼も夜も思え。
それがあなたの生命の一部となり、分子となるまで思え!
あなたの行動のすべては、この思想の力によって拡大され、変質され、神聖化される。
●我々がかくありたいと願うものは、何でも我々自身でそれを為す力をもっている。
今我々の前にあるところのものは、すべて我々自身の過去の行動の結果として現われたものである。
我々が将来なりたいと願うものは何でも、現在によって創りだすことが出来る。
●失敗を恐れるな。
闘いによって得られるものでなければ、持つに値しないものだ。
失敗は人生の美であり、それがなかったならば、どこに人生の詩があるだろうか。
理想を千回も振りかざせ。そして千回失敗しても、もう一度企てよ。
●世界の歴史は自己を信じた少数の人たちの手によってつくられた。
あなたたちは何でも出来る。
失敗するのは、無限の力をあらわす努力が足りないからである。
個人でも国家でも、自信を失えば死が来る。
まずあなたたち自身を信ぜよ。
神であることを信ぜよ。
●自己をこの小さい肉体の中に閉じ込めるな。
私は宇宙である。
一切者であるあの無限なるものが、自分であるといえるまでになれ。
あなたには死はなく、病もなく、不幸もない。
あなたは不死、不滅なる、永遠で完全な霊そのものである。
あなたは無限の青空のように大きいのだ。
—–
—–
「ヴィヴェーカーナンダ」が世界に啓蒙した「ヴェーダーンタ哲学」の教えは、現代のスピリチュアル思想の
主流になっているワンネス(全てはひとつであるという思想)の概念の源流。
インド思想によれば、自分の内面の究極には神がいて、この内部の神をアートマンといい、また、自分の
外側の世界、果てしなく宇宙にまで広がる全ての世界は、そのすべてが神の身体であり神自身が表現された存在
で、これをブラフマンという。
そして、ヴェーダーンタ哲学では、このアートマンとブラフマンは究極には全く同じであると言っている。
つまりこの世界、この宇宙は、ただひとつの究極の実在(=神)だけが存在するのみで、他の一切は幻である、という考え。
神だけが存在している世界に〝私〟がいるのですから、当然〝私〟は究極的には神であるということになる。
つまり、あなたもまた神。
客観的と思ってるモノも自分(人間という主体)の主観の内側で、そう定義しているだけで、「本当の客観」は
「人間という主体」からは解からない。なぜなら、自分(人間という主体)が体験する人生の内側にしか山水草木も
他人も宇宙も無いわけですから。
人間が自分(人間という主体)という器を越えて存在できない以上、客観的世界は、どこまでいっても主観的世界の内部の虚構。
そうであるならば、自分の人生には、自分の頭で考えたり自分の目で見たり自分の耳で聞いたりするような世界以外は、
リアルな現実世界であると証明することは不可能。
そうした世界観をそのまま突き詰めて行くと、科学とは別のアプローチで必然的にヴェーダーンタ哲学の指摘する世界像そのものと合致…
——
ふーん…
毎年、父の誕生日に
このカーニャクマリの
古くにお亡くなりになった
「ヴィヴェーカーナンダ」さんから
誕生日カードが来るんです…
「ヴィヴェーカーナンダ」さん!
もう父は地球にはおりません…
そちらに住んでいると思いますが
見当たりませんか?
1902年に亡くなってるはずの人が
2018年に亡くなってる人宛に
毎年、お誕生日カードを
贈ってくる不思議…
しかも住所は亡くなってる人の娘の家…www
お茶目さん
投稿者プロフィール
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財団法人RINDA foundation JAPAN創設者/代表理事
株式会社らしゅえっと代表取締役
NPO「恩渡しネットワーク」代表
2014年1月より、「生きやすさ」と「循環(持続可能性)」の2つのキーワードを活動ポリシーに、除菌水シリーズ「まましゅっしゅ」の商品企画、制作、販売。2年連続で「キッズデザイン賞」を受賞し注目を集める。
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