『ぼちぼち』が一番!

カテゴリー:あの頃の私(2001~2005年)

公開日:2002.03.04

2002年3月4日
20代の有川凛の視点

日常を普通に生きているだけで、山のようにある生きるヒントに巡り会う。

生きるヒント?

自分に相応しい生き方というべきなのか、「こうありたいと思い、そして
そのためにどう工夫すればいいのか」・・・そういうヒント・・・

そう。
日常は、工夫を発掘するためにある。
そんな気がする。

それは、客観視したときに見えてくるものなのかもしれない。
少し冷静に、そして自も他も第三者的に、少し離れた視線で観察する。

これが、意外に楽しかったりする。
意外な発見を山のように味わえるから。
「はっは~ん。なるほど!!」ってね。
それを味わうことが日常生活において、私の楽しみの一つとなっている。

物を素朴に観察する。
例えば、それが、自然界にあるあらゆる植物だったり、動物だったり、人だったり・・・。

話は変わるが、私は自分のことを「阿呆だ」と認めてる。
しかし、阿呆にも阿呆なりの理屈を持っている。
これを屁理屈というのだろう。(屁理屈、以下)

「阿呆だからわからなくて当然。
しかし、ただの阿呆で人生終わってしまっては勿体無い!
だから阿呆にも楽しみを作ってやろう!

じゃ~、それは何?
知らないことを知る楽しみを味わせること。
知らないことをどんどん知っていく楽しみを感じさせること。
『今から色んなことを吸収してやれ!』って思う心を持たせること。

じゃ~、結局どうするの?
賢くないからこそどんどん今から賢くなっていけるんだと現状を認めさせ、
且つ知れば知った分だけ必ず賢くなるんだと希望と目標を持たせてやるんです。

そしてそんなことを考えているうちにRinRinは思うようになるわけ。
ふむふむ。吸収するって事は、昔より知識なり経験なりが増えることなわけだから
自分の選択幅が増えるな~。ふ~ん、知ることって楽しいじゃん。
へ~、な~んて素敵なことなんだろう!
阿呆もそれほど悪くない」ってね。

これは常に自分に目を向けていないと生まれない事かもしれない。
一度、どん底に落ちたからこそ生まれ出る発想なのかもしれない。えっ?

知らないという事を何も恥ずかしがる事はない。
私は、きっとそんなプライドをある頃から捨ててるんだろうね。

そんなことより今から知っていく方が楽しいじゃんってすぐ思ってしまう。
だって知れば今より賢くなれるんだよ~。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生(末代)の恥」っていうじゃない。
まさしくあれ。

私はこれを、「阿呆の開き直り」と呼んでいる。
開き直り程 強いものはないからね~ぇ。

それを上手く応用してやる。
これ、「究極の阿呆の特権」だす。
阿呆にしか、できないね。。ふふん、ええだろ~ぉ。

けど、その阿呆にも難点があって、それは、記憶の量に限界があるって事実。

だからどうするか?

私がいつも肌身はなさず携帯しているもの。

「携帯電話」

私は、ここにすぐINPUTさせる。
要するに、私の小容量の脳味噌には入りきらないデータを外付けDISKに記憶させてるってわけ。
(けど、これにも限界があるので、そろそろ別物を購入しようかと思ってる)

これが、私の情報貯蔵庫になっていて、ものすごい数の「薀蓄語録」が入っている。
えらくくだらない事から、はたまた どえらい高度な事まで様々。
いわば私の「ネタ帳」。

それを時々に応じて、引っ張り出してくる。
—私の箪笥の引き出し—

よく人に、「あんたはネタに尽きないね~」って言われる。

ま~、漫才師じゃ~ないけれど、日々の素朴な疑問解決が私のネタ帳に記録されているわけだから、ネタはある意味、尽きないだろう。

不思議なものでそのネタさん達が色んなところで勝手に結びついてくれるものだから、
時にえらい発見が生まれたりもして、結果、突飛な事を言い出すものだから、
それが人からすると、えらく面白おかしく聞こえたり見えたりするんだろうね~ぇ。

皆さん、だまされちゃ~いけません。
私が面白いわけじゃ~なくて、ネタ帳が勝手に組み立ててくれるだけなんざんす。
ふふ。

だけど、よ~く考えてみると確かにこういう所って変わっているのかもしれない。
そして又、こうしか生きられないこの「不恰好さ」を私はえらく気に入っていたりもする。
自分で自分の新発見をして毎日を楽しんでいる。なんて幸せな人なんでしょうね~。

だけど、この比較的プラス思考に思える私も、実はとびきり「根暗」だったりする。
マイナスでは生きていられないから、プラス思考にしているだけなんだよね。

だけど、またまたこういう自分も認めちゃっていて、大好きだったりする。
この不恰好さを「何とも可愛いやつだな~ぁ」って思っているんだな~ぁ。
ま~、変わってるよね~ぇ。。おナルちゃんなんだろうね~ぇ。

人なんて ある種、そんなものかもしれない。
人間なんて、矛盾と隣り合わせで生きているものだから。

生きていく上で何が大切かって、きっと「どれだけ落ち込んだとしても、
最終的に前を向こうとする姿勢。そのエネルギーがあるかどうか」だと
思うんだよね~。

その時はそう思えなくてもいい。
思えなければ頑張っている、頑張ろうとしている自分を励ましてやることも必要。

だらり~ん、グダグダすることで気が休まることだってある。
最終的には前を向かせてやればいいんだから。

「裏返しに考えたら、おっと、こんな所で役立つじゃん!儲けもの!」
な~んて考えてやったら、そしたらいくらか楽しくなる。
逆転の発想ってやつ。

これが出来るようになれば、可能性なんてどんどん増えていく。
自らの力で増やしていける。
考えると凄いことだよね~ぇ。(おいおい!)

いつも色んなところにアンテナを張り巡らしている私。
子供のように何でも知りたがる私。
変なことにすぐ興味を持ち、すぐに疑問を持つ私。
謎を知りたがる私。

だから毎日が『なぞ』だらけ・・・
これって毎日を楽しくする秘訣かもしれない。
生きていることを楽しくする秘訣。

だけど、これまた時々、辛くなるんだよね。
疲れるんだよ~。。。だから、休憩するんだけど~(これが長い)。

辛くなるのはなぜか?

つまり「阿呆」だからです。
あまりにも阿呆が故に知らないことが多すぎて、阿呆なくせに今すぐにでも全部を知りたがる私の脳味噌が、すぐオーバーヒートを起こす。

そんな時、「やっぱり私は阿呆だったんだ・・・」って現実を突きつけられて、勝手に泣いていたりする。

こんなのに付き合わされたら堪りませんな~ぁ。
「ほんま、ええ加減にし~や~」って感じですよ。(笑)

そしてこんな自分を「ほんま、不細工やな~」って思うんですよ。
そしてこんな自分に言い聞かせてやるんです。

「阿呆なんやから、『ぼちぼち』し~や~。ゆっくり、ぼちぼちね」ってね。

こうやって知らないうちに自分をコントロールしているわけですな。。
はっは~ん!!Rinちゃん、偉いやん!(えっ?)

あ~、何を書いているんだかわけが分からなくなって来ましたがな。。。

ま~、要するにRinRinは思うわけです。
世の中に無駄なことなどないってね。

だって無駄だとされていることを、無駄にしなければいいだけやないですか。
そして、無駄にしないヒントは、日常のあらゆるところに落ちているってね。
うぉ~、かっちょええ~ぇ。。

そして、時に落ち込む自分に言い聞かせてやる。
「泣いても一生、笑っても一生。同じ一生なら笑わな損や」ってね。
これはいつもわがYoshikoママが私に言うセリフなんですけどね。
ええ事いうな~ぁ、Yoshikoママは・・・。

えっ?書き出しとえらく文体が違ってるって??

まっ、堪忍したっておくれやす。これがRinRinなんですわ~ぁ。

このまま書きつづけると、途方もないことをいいはじめそうなので、
とりあえず、本日はここいらでお開きにいたします。

ちゃんちゃん。

投稿者プロフィール

有川 凛
有川 凛
財団法人RINDA foundation JAPAN創設者/代表理事
株式会社らしゅえっと代表取締役
NPO「恩渡しネットワーク」代表

2014年1月より、「生きやすさ」と「循環(持続可能性)」の2つのキーワードを活動ポリシーに、除菌水シリーズ「まましゅっしゅ」の商品企画、制作、販売。2年連続で「キッズデザイン賞」を受賞し注目を集める。

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