試行錯誤があるから面白い
カテゴリー: ─ いま・ここ・私, ─ 子どものこと
公開日:2022.01.10
1月10日の今日まで、親元を離れて長野でトレーニングをしていました…
小さな子どもが大好きな息子は
トレーニングを済ませた後
ゲレンデに来ていた子どもたちの
遊び相手になって、双六をしていたようですが
そんな愛らしい姿も時折、垣間見せてくれます…
息子たちが、スキーをし始めたのは、
1歳、2歳の時からですが
アルペンスキーを本格的にしたいといい始め
東京に居住している私たちが、
息子たちに雪上トレーニングをさせてあげるには
雪のある場所へ毎週のように
連れて行ってあげるしかないのですが
親元を離れてチームの合宿に参加するということが
息子と同じような年代の子どもを
育てている方から、
良く聞かれる質問に
「親元を離れて、知らない人の環境に
子どもを何日間も行かせることって、
不安じゃなかった?」
とにかく子どもは私にとって可愛いすぎて
とにかく愛おしい宝物の存在ですから
それに親もはっきりと知らない人の環境に
子どもたちを
行かせると言うことは
最初は右も左もわからないわけで
でも、息子たちは、
自分がやりたい目的があった事もあり
一番年少だった息子から大学生が
所属するクラブチームで
競技スキーという同じ目的に向かって
切磋琢磨する集団の中で
あれこれ頭を打ちながらですが、
自分で決めて、行動して、結果を作って行くことの
エッセンスをたくさん経験していったのだと思います…
そもそも
自分で全てをしなければならないような
生活を今までしたことがない中で
意見もまちまちだろうし、
時には自分の中で折り合いがつかず、
どうしていいかわからない、
でもこの「試行錯誤」をすると言うことは
まず「考える力」を養うことになり
「考える力」が養われるってことは
イコール「心が育つ」ってことなんだと
私は思うのですが
悩むとか、混乱するとか
どうしていいかわからないと言うのは
あながち悪いことではなくて
親は勝手に子の状況を想像して
悩みをすぐに解決したくなったり、
そもそもそんな悩みを持たせることを
最初からさせないという親心も
あるかもしれませんが
私はそうやって試行錯誤して悩む時間は
とても大事だと思い、そちらを取りに行ったのだと思います…
ただ、その選択をするにあたり
私が最初から、決めていたこと、
見逃さずに大事にしていることというのが二つありました…
一つ目は、どんなことがあっても
息子たちを信じ抜くことです…
二つ目は、
「母ちゃん、聞いて!」と
そう言える存在で、自分が絶対的にいること。
もし「母ちゃん、聞いて!」
という瞬間があったときは、
私は何を差し置いても
全身全霊を息子たちに差し出し
「聞くよ!どうした?」と
いつもよりも優しい声のトーンで
どちらかというと、
ゆったりとしたペースで
「うんうん、そうか、そうか」と
聞いているに過ぎませんが
息子がどうして聞いてほしいと思ったのかの
肯定的な理由・意図(本質)に目を向けて
「辛かったんだね」
「その気持ちを聞いて欲しかったんだね」
「そうか。母ちゃんは、あなたの気持ちがうんとわかったよ」
「傷ついたんだね」
「辛かった、その気持ちをただ、わかって欲しかったんだね」…
そんな言葉を添えて、
一緒に息子の心の根っこに生まれた気持ちに気づき
息子たちを、ずっと信じてきました…
今も未来もです…
彼らの心、そして彼らの未来をです…
だからなのか、息子たちは、私に
「母ちゃん、聞いて」と
その第一声、産声をあげてくれているのだと思っています…
会話の最後には、
「これは誰にも言わないでね。僕、これで頑張れるからね!」
そう言って、
息子たちは自分自身で自分の心を整えて、
こんな風に、それぞれの子たちが、
私を心の媒介者にして浄化されていく姿をみて、
「まーなんて、愛らしい、素晴らしい心を持った子たちなのかしら。
私は、そんなあなたの心を見ることができて、感動してしまったわ!
母ちゃんも頑張るわ!ありがとう!」
・・・と、そう思う気持ちを、
そのまま、子どもに伝えているという
私は二人の息子たちと出会い、
子を育ませてもらう中で、
こんなふうに、自分の日々の命の時間を過ごさせてもらっています…
親元を離れてこその「環境」というのがあり
その中で、子どもたちが経験する「試行錯誤」は、
こんな風に、「考える力」や「心」を育ててくれるだけでなく
私とのコミュニケーションの質を高める機会になってくれている…
そう考えると
私から息子たちへのプレゼントでもあり、
私へのプレゼントだな…
まだまだ幼子の息子…
手元に置いておきたい親心は、
離れていても、近くにいても
真心が届けあえる工夫とバランスが
とても大事なんでしょうね…
「褒めること(言葉)」と
「承認すること(言葉)」は
全く違うと私は思っています…
褒めることは、褒める側の人に価値基準があり、その価値基準に沿う
言動や姿が相手側に確認できた時にする「評価」です。
ですから
「あなたは素晴らしいね、
よく頑張ったね」
という褒め言葉には、
上下の関係があり、決して対等な関係で生まれる言葉ではありません。
そして褒められると、人は「心地よさ」を感じる「ドーパミン」を脳内に放出します…
ですから褒めることを子どもにし続けると、
子どもは心地よさを感じ取りたくて、
評価する人の「他人軸」を基準にした言動を、
一方、承認することは、相手の立ち振る舞い・その姿をみて、見た人が何を心で感じ、
どう感動したり、どう共感したりといったように、どのような変化が自分の心の中で
起こったのかを伝えることです。
例に挙げると、
「あなたは頑張ったわね。
なんて素晴らしいのかしら!
私は、そんなあなたの姿や心を見ることができて、感動してしまったわ!
一見、褒めることを前半でしていますが、相手のあるがままの状態を一旦受け止めて、
それを見た私がどのように感じて、自分がそれによってどうなったのかということを
伝える言葉をプラスして相手に渡しているのです。
ですからここには、親であろうと子であろうと上下の関係はなく、対等な関係があります。
そして、この承認の言葉を受け取った人は、
「自分のあるがままの姿勢やその姿そのものが、周りの人の歓びになり、存在価値になっている」
と気づくことができ、自分軸を力強く作っていくことができます…
他にも褒めると承認するということには、私の中で厳密な違いがあるのですが、私は、どちらが良い、悪いを言っているのではありません。
使い分けとバランスが大切なように思っているのです。
私は、褒めると承認には、そういった違いを感じとっているため、息子だけでなく、夫、そして、
他の子どもたちや、周りの人たちに、自尊心を高める「承認の言葉」を渡したり、
本人が伸ばしたいと思っていることに関しては「ピンポイントで褒める言葉」を渡すということを、
そんなちょっとしたエッセンスを、日常のコミュニケーションの中に取り入れてみるのも
面白いかもしれませんよ
投稿者プロフィール
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有川 凛
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財団法人RINDA foundation JAPAN創設者/代表理事
株式会社らしゅえっと代表取締役
NPO「恩渡しネットワーク」代表
2014年1月より、「生きやすさ」と「循環(持続可能性)」の2つのキーワードを活動ポリシーに、除菌水シリーズ「まましゅっしゅ」の商品企画、制作、販売。2年連続で「キッズデザイン賞」を受賞し注目を集める。