心が求めるままに挑戦を続ける型破り人生:星野誠さん

星野 誠さん (挑戦家・誠眼鏡店代表)

七大陸最高峰(7サミット)制覇、アイアンマンレース完走、ゴビ砂漠マラソン完走など、どれ一つとっても一生に一度やるかやらないかという大きな挑戦を、さらりと成し遂げてしまう星野誠さん。彼は冒険家でもなくアスリートでもなく、中古メガネ店を経営する、いわば普通の人。挑戦するのに大義名分なんてない。日本という国の中で少々息苦しさを感じていた彼が、自分らしく軽やかに生きられるようになるまでのお話を「生きやすさのEqual」を目指すRINDA foundation代表の『有川凛』が直撃インタビュー!

  

——星野さんが様々ことに挑戦しはじめたのはいつ頃からですか?

中学生の頃から自分の理想像というのがあって、「ダイハード」の主人公のように、ユーモアがあって「危機に痺れる男」っていうのに憧れていたけれど現実の自分は違う・・・みたいなギャップがあったんです。その頃、ナポレオンヒルの「思考は現実化する」っていう本に出会って「本当かな?!」と思いながらも、自分がやりたいことリストは書き続けていました。

ただ実際に、思考は現実化すると思えるようになるには、中学生の時からやり始めてから20年くらいかかりましたね(笑)。それまでは、「やりたいことリストを書いてやろう」と書いてはいたけど、本当の意味で、書いたことを実践していませんでしたからね。でも、中学校の頃から、「やりたいことリスト」を書いていました。

 

——中学生の頃からですか!ちなみにどんなご家族の中で育ったんでしょうか?

両親は普通の人たちだったけど、おじいちゃんとおじさんがちょっと飛んでいましたね。おじいちゃんは30代までに、0から人生の一生分を稼いでしまった人で、いつも家にいるんです(笑)。おじさんも自分で0から不動産会社を立ち上げて、世界中をパラグライダーやウィンドサーフィンで旅しているような人。そんなおじいちゃんやおじさんに子ども心に憧れていました。僕はそもそも組織に属するとか大嫌いだったし、学校も習い事も大嫌いだったから、子どもの頃から自分は絶対にサラリーマンにならないと強く心に誓っているような子でした。

 

——中・高校生時代はどんな少年でしたか?

学校っていう共同生活が大嫌いで、見栄を張ったり、どこか劣等感を持っている自分自身が嫌いでした。特にモテたいという欲求が強くて(笑)本当の自分よりもっと良く見せようとする自分がいて。良く見せているわけだから、そこには本当の自分じゃない偽りの自分がいて。

表面的には楽しそうにしているけど、実際には何か楽しくないっていうか。そんな周りの目や世間を気にして、いい格好をする自分が大嫌いでした。それを克服できたのは大学卒業後ぐらいかなぁ。

高校生の時に書いた未来の自分への手紙

——星野さん自身は学校が嫌いで、人に言われたことをやるのも嫌なのに、周りの目を気にして、ずっと自分らしい人生を生きられていないというギャップがあった。小さい時から奔放に生きてきた人ではないんですね。

奔放には生きていませんでした。むしろ真逆です。

 

——学生時代で一番印象に残っていることは何ですか?

バックパックでインドを2ヶ月旅したことですね。その旅を経験したおかげで、それまでは学校生活で、人のこと気にしたりモテたいとか思っていた自分が、やけにちっぽけに思えました。「あっ、どんなことをしても生きていけるんだ!」、「もっと世界中で色々なものを実際に見ていこう!」と思うキッカケにもなりました。

バックパックで旅していると、騙されたり、病気で死にそうになったり、すごく寂しくて苦しい時があったり。感情を揺さぶられることがたくさんありました。一見、負の感情ですが、実はこのすごく寂しい感覚とか自分を追い込む感覚がとても貴重で、自分はこの感覚が大好きだと気づいたんです。インドで色々な目にあって一人で苦しんだおかげで、自分の人生が大きく変わり今の人生につながったのだと思います。僕の人生の中での一つ目のターニングポイントは、確実にバックパックのインドの旅ですね。

 

失敗続きでも人生は楽しい! 

——新卒で入社した大黒屋ではどんな仕事をされていたんですか?

僕が新卒で入ったときは、大黒屋がちょうど新規事業に手を広げようとしていた時でした。新入社員にもかかわらず「自分にやらせてくれ」と社長に直談判して、ラッキーな事にブランド部門を立ち上げさせてもらえたんです。大黒屋の中では、その部門はちょっと特別な立ち位置で、やりたいことは全てやらせてもらいました。

当然、仕事にはなんの不満もなかったんですが、「やりたいことリスト」に書いていたホテルを作りたくなって突然辞めちゃいました。恩を仇でかえしてしまった形ですが、大黒屋の会長とは今でも仲良しですよ。僕が一方的に仲良しだと思っているだけかもしれないけど(笑)

 

——その後はどんな仕事を?

会社を作ってはやめを繰り返していました。事業の本質を捉えられず、ちょろちょろ動いてはやめみたいな感じで過ごしてきたので、当然お金も全然ありませんでした。代表者という肩書きの割に3万円のボロアパートに住んでいたし、納豆と餃子しか食ってないみたいな生活です。

最初は日本で宇宙旅行を販売する銀河ヒッチハイカーズという会社を立ち上げた後、ニューメキシコにある宇宙旅行会社の代理店を作りました。でもなかなか宇宙船開発が進まず、結局、クライアントからはお金がもらえずで。ニューメキシコと日本の往復なんかを繰り返していたから、資金がどんどん尽きていって、宇宙旅行の会社は残念ながら3年ほど空中分解しました。

ニューメキシコ宇宙船チャーター調印式(左が星野さん)

その後、大黒屋の福岡店時代に夜な夜なナポレオンヒルの「思考は現実化する」について語り合っていた後輩がいて、その彼が独立すると聞いたので共同で会社をやろうと声を掛けたんです。そして二人で共同経営者になり会社を作りました。

 

——後輩と作ったのはどんな会社ですか?

二人で色々とやっていました。例えば、思いつきで始めた中古車販売で何の知識もないのに中古車市場に行き、事故車とか分からず買っちゃったりして、そりゃもうヒドイもんで。他にも、ブランドショップなども展開しはじめて、高級時計を250万くらいで仕入れて280万くらいで売ろうとしたら、納期が間に合わなくて逆に200万になるという始末で。今考えても本当にダメでしたね(笑)

基本、この会社では僕はただブラブラしていただけで、彼のほうがしっかり仕事をするんです。結局、その後輩がジュエリー会社を、今、成功させています。そんなふうに僕と彼とは出発点は一緒だけど、ビジネスは彼の方が圧倒的に上手かったみたいですね(笑)僕は使うスピードがどうも速すぎて(笑)

 

——一人はビジネスで成功していて、もう一人は放浪者になっているんですね(笑)

そうそうそう(笑)でも人生は楽しいですけどね!

  

主体的にできないことは一切やらない

 ——その後はどんな仕事を?

中古メガネをヤフオクで売ることをしていて、それだけでも20万くらい月収があり、それ以外にも以前、勤めていた大黒屋の会長から「ちょっと手伝ってくれ」と言われて、週2回しか働いていないのに20万くらいいただいていたんです。簡単に言うと、楽してお金を手に入れていたんですね。でも、「こんな状態では、どうにも自分の事業には本腰が入らない」し、「対岸に行きたいのに足が離せない、離していない」と思ったんです。これではお金をもらっても魂が喜ばないなと思って、大黒屋での週2回の仕事も辞めました。

さすがに、これじゃダメだと思って仕切り直し、30歳の時に背水の陣で「株式会社誠」を作りました。それまではどちらかというと会社設立がサークルのノリでした。代表っていう肩書の名刺を持っているとカッコイイと勘違いしていて。だから名刺交換会とか、有名人のパーティに顔を出し、それだけで仕事しているって錯覚していたんですね。そんなところに行ったって、何の意味もないのにね(笑)。

あるとき自分の主体性のなさが心底嫌になり、そこから「自分が主体的にできないことは一切やらない」と決めて作ったのが「株式会社誠」です。とはいえ、この会社も最初はやることなどはまったく決まってなくて、まずはお店だけ出して、その後でやることを考えたんですけどね(笑)。とにかく、これが僕の人生の二つ目のターニングポイントです。

 

——同時期にご結婚もされていますね。

はい。僕の中では、お金をいくら稼ぐとか会社を大きくすることよりも、「人間力がある人になる」という目標が常にあって、そうなるまでは結婚しないと自分に誓っていたんです。なんとなく、35歳まではそういう男にはなれないって思っていたので、それまでは絶対に結婚しないと周囲にも言っていました。でも、そもそも35歳になったらなれるっていう確証もないなって気づいて。

「誠」の立ち上げと全く同時に、突然、やっぱり結婚できるぐらいの男にならなきゃだめだ!と思いついて結婚することを決意しました。そのときは、まだ相手もいなかったんですが、結婚しようと思いたって周囲に「やっぱ 結婚する!!」って言いまくっていたら、奇跡的に奥さんに出会えたんです。出会って2週間後には、もう彼女のお母さんと会っていました(笑)。

 

——それはもう運命ですね(笑)「誠」設立後の経営は順調だったんですか?

そうですね。でも、2、3年会社をやっていたらなんかまた落ち着いちゃって。刺激が全くなくなって面白くなくなってしまったんです。というのも、ある程度お店が形になったら安定してしまって。それなりにお金も入ってくるので、普通に生活はできてしまうし。

「あれ?理想の人間像に近づくために切磋琢磨していく人生を望んでいたはずなのに、なんかポワーンとしてしまっている自分がいる」と不意に気づいてしまったんです。そしたら、無性にまた新しいことをやりたくなってしまって。

 

自分の中の最良の選択とは

——それでエベレスト登頂を決意するわけですね。行こうと決めたのはいつ頃ですか?

4年前です。エベレストに登るには、まずは6,000mくらいのロシアの山で高所と雪山に慣らしてから、7,000mの山、次は8,000mの山というように登る順番があって、エベレストに行き着くまでに3年くらいかかるんです。いきなり登ったら、さすがにすぐ死んでしまうと思うし、すべてが無駄になっちゃいますから。

 

——それまでにも登山の経験はあったんですか?

実は僕、山登りの経験が富士山しかなかったんです。だから、最初に登ったロシアの山で、もう完全に打ちのめされてしまって。「これはやばい!本当に死んでしまう!」と思いました。一番楽なはずのロシアの山で、こんなに苦戦を強いられるなんて、自分は本当にエベレストを目指せるのかと反省しました。

 

——その当時、会社はどうなっていたのでしょうか?

当時は、山登りと同時に香港進出を行っている真っ最中でした。当初、僕は山50、香港50で人生のパワー配分をしていましたが、ロシアで完全に打ちのめされて、すぐ自分には香港進出とエベレスト登頂を同時にこなすパワーはないと判断しました。そこで、3ヶ月ほどかけて改装オープンしたばかりの香港店をわずか1ヶ月で潰したんです。実はこれが、エベレストを目指していた僕にとって、エベレストに登るよりも圧倒的に辛い経験でした。様々な人に、たくさん協力していただいていたので、このことは本当にこたえました。

もちろん周囲からは、「エベレストはいつでもできるから、ここで2、3年は香港をしっかりとやって形にしろ」と、散々言われました。まあ当然です。でも、僕の心の中には、その選択肢は無くて。表向きには、「ご協力いただいた皆様申し訳ありません。資金ショートならびに僕の実力がまったくありませんでした」と謝罪して回りました。でも心の中では 「同時並行は無理だ。どちらかを一つとるなら、まずはエベレストだ」と。

様々な人の協力を得て立ち上げた香港店だったが、わずか1ヶ月で潰すことに

 

——今振り返ってみると、やっぱりその選択でよかったですか?

よかったと思います。だって、もうそれ以外、僕には選択肢はなかったし。そのくらい、僕の心の奥から出ていた欲求でしたから、エベレストに関しては。香港進出は僕の中の「実現したいリストの一つ」ではあったけれど、なんかまだしっくりきていなかったっていうか、僕の実力がついてきてなかったというか。僕の中の根本的欲求がお店の香港進出よりエベレストの方が圧倒的に強かったんです。

 

——ところでエベレストの資金はどこから?

スポンサーとかはついてなくて、全部自分で借り入れています。エベレストは1000万かな。でも香港を撤退した後は、海外旅行に行ったら奥さんにかかった分と同額をお金で払う契約になったんです。例えば10日旅行に行ったら10万、100日行ったら100万。そしてエベレストの場合は1000万かかるので、奥さんにはそのまま1000万きっちり払う契約になっていて、おかげで奥さんには、今、だいぶ借金が溜まっています。

僕の借金は全部で3000万。内訳は奥さんに1000万、借り入れで1500万、他にもちょろちょろと。奥さんへの借金は何とか待ってもらってるけど、でも取り立てが実は激しくて、今月もしっかり取られました(笑)。奥さんに言わせれば、「甲斐性もない奴がそんなことするな」っていうのがあるので、まあ当然ですけど(笑)

 

——それでも家庭を持ったことは良かったと思いますか?

はい。やっぱり守るものができると圧倒的に馬力が出ますから。家族がいるから、最終的なところで「死んでたまるか!」とか「手足がなくなって胴体だけになっても絶対に帰ってやる!」と踏ん張れるんです。

一人だと悦に入って「俺はもうここで死んでもいい」なんて思っちゃうけど、家族がいるとかっこいいとか、惨めとか関係なくて「悪魔に魂を売ってでも絶対帰ってやる!」と思う(笑)。奥さんとは「絶対に帰ってくる」っていう契約を交わして行ってますからね。もし家族の存在がなかったら、辛さが限界点を超えた時に帰らなくてもいいだろうと思っていただろうなぁ。

毎回、登頂時には妻への熱いメッセージを掲げる

生を味わい尽くしたエベレスト登頂

——山にはチームを組んで行くのでしょうか?

僕には倉岡さんという日本で一番の登山家の師匠がいて、その方に頼んで行きました。倉岡さんに他のお客さんがいるときは、そのお客さんたちと。いないときはほぼマンツーマンで。倉岡さんは、あの世界最年長80歳でエベレスト登頂された三浦雄一郎さんをガイドされた方です。人柄もとても素敵で、魅力的すぎる(笑)最強の人です。僕の人生のメンターのお一人でもあります。

 

——実際にエベレスト山に登ったことで、星野さんの生き方は変わったのでしょうか?

実はエベレストで変わったというわけじゃなく、やっとこれで「スタートラインに立てた」という感じです。どういうことかというと、エベレストでは死が現実として間近にあって、同時期に山に入っていた人が死ぬこともあるし、僕だって足を滑らせたらすぐ死ぬ。そのくらい、死が隣り合わせなんです。

普通に生活している中では、可能性として車に跳ねられて死ぬこともあるだろうけど、「死」なんて通常は意識していないじゃないですか。逆にいうと、日常では「生」をしっかりと味わって、噛み締めて生きていないということなんですよ。生と死の抱き合わせのところで生きることに集中したエベレスト登山の経験で、「生きてるってすごいことだ、本当にありがたい!」と思ったんです。そう気づけたエベレスト登頂は、僕にとって本当に大切な経験で、三つ目のターニングポイントになりました

 

——生と死が隣り合わせだったから、生きるということに、ものすごくフォーカスが当たったんですね。

そうなんです。自分自身の弱さをすごく実感できました。山では高山病で全く眠れなかったり、鼻血を出していても気づかないこともあったし(笑)、頭痛も半端ないし、孤独感が普通と全く違った。そうすると、もう自分を誤魔化せないんですね。このくらいの極限状態に追い込んで、久しぶりに本当の自分というものに向き合いました。誤魔化せない等身大の自分に。

エベレストでは常に生と死が隣り合わせる

——そういう意味で、エベレスト登頂はスタートラインなんですね。

やりたいことリストには色々書いてきたけど、やってみて、「あ、エベレストは本当にやりたいことだったな」と思いました。やりたいことって色々やってみないと、本当に自分がやりたかったのかが実感としてわかってきません。

僕が人生を賭けて達成したい目標は、「自分の中の胆力をつける」、「動じない男になる」ことなので、エベレストに関しては目標にしっかりとリンクしました。僕はビジネスとかお金を稼ぐことよりも、やっぱり「胆力を鍛えること」に興味があるんだなと改めて気づきました。とはいえ、ビジネスはビジネスで、それを通じて自分自身を磨き上げることができるので、大切なことだと思っています。第一、そういうこともしていないと一般の人に対して、人としてあんまり説得力がないですしね。

 

——目の前に自分がやるべきことがあると、それに向かってまっしぐらになるんですね。

一つのことをやり続けるっていうのが元々大好きなんですよ。でも、人から言われてやるのはものすごく嫌だから、基本絶対にやらない(笑)

 

——エベレスト登頂にはどのくらいの日数がかかるのでしょうか?

2ヶ月ぐらいかな。エベレストのような高所登山では、一気に高所に行っちゃうと頭がイカれちゃうし、そもそも身体によくないので、身体を順応させるために、高所に登っては降りて休んでを繰り返しながら登るんですよ。だから2ヶ月もかかるんです。トータルで1000キロくらいは歩くけど、2ヶ月でその距離だから大したことはないです。

エベレストは登頂よりも、挑戦しているときが一番楽しい!!だから、登頂して終わっちゃうと、「あっ、終わっちゃった」みたいに一気に冷めちゃうんです(笑)。

 

違和感に気づいた時が人生の面白さ。それが人生を甘くも辛くもできる

——星野さんのようなタイプは、日本では生きづらそうですね(笑)

そうでもないですよ(笑)。でも、「もう一度学校に行け!」って言われたらやっぱり生きづらいかな(笑)。大の学校嫌いだった中高生の頃に比べたら、場数を踏んだ今は、どんどん生きやすくなってきているかも。基本的に人生が楽しいし、常に全力で、いつ死んでもいいと思って生きられているから。実は、今すごく生きやすいです。

 

——お話を聞いていると、星野さんは常に自分が生きやすい場所を探し続けている気がします。自分が大切にしていることと自分の心に照らし合わせて、主体的に自分が動くようになり、エネルギーの流れを自分自身で作れていることが星野さんの生きやすさになっているっていうことでしょうか?

まさにその通りです。自分が主体的に挑戦をするようになって、すごく生きやすくなった。やっぱり、人に言われて何かをやるとか、レールを敷かれて押し付けられて生きていると、多分生きやすくはならない。僕はそう思います。

 

——主体性を持った生き方に転換することで、自分らしく生きることができると経験からわかった。生きる中で違和感を感じて、自分らしい生き方を見つけた時からが始まり。どの時点からでも自分らしい生き方をすることは遅くはないってことですね。そして、特に今の子どもたちに向けて何かメッセージはありますか?

違和感に敏感になること、それがスタートで、それがスパイスです。今の子たちには、色んなものにドンドン挑戦して欲しいなと思います。「どうせ失敗するから」とか、「辛い目に合いたくない」と言って尻込みするとか、そういう臆病になることってあるかもしれませんが、辛い目とか失敗って言うのは、実は喜びで人生のスパイスなんです。

それがないと旨味が丸っきりなくなっちゃって味気ないし、彩りがなくなっちゃう。自分らしく生きるためには、そこも敢えて取っていこう!!と伝えたいですね。

 

——自分の違和感を受け入れることがスパイスになる。人から貰おうとするけど、実は自分自身が持っていると。

そういうことです。人からスパイスをもらうのではなく、実はスパイスは自分が持っている。違和感がスパイスです。違和感に気づいた時が人生の面白さ。それが人生を甘くも辛くもできます。皆さんも、どうか違和感に敏感になってください!違和感、辛さ、孤独LOVE!! (笑)

 

——素敵なメッセージをありがとうございます!ところで私が代表をしているRINDA foundationでは将来的に発展途上国の貧しい子どもたちに、宇宙旅行をプレゼントとしたいという構想を持っているんです。途上国の子どもたちは、宇宙に自分たちが行けるなんて思っていないと思うから、彼らの瞳を最高潮に輝かせたくて。たまたま星野さんが7月に宇宙旅行社を復活させたと聞いたので、その時が来たら、ぜひコラボさせてくださいね。

ぜひ!むしろこちらからお願いしたいです。

 

——それと同時にRINDA foundation Magazineコーナーで「生きやすさ」にフォーカスして発信していきましょう!

そうですね。ぜひそうしましょう!!

(聞き手:有川凛  文・編集:武井由美子)

 

 

星野 誠

ブランド中古メガネ店を経営する傍ら、挑戦家としてトライアスロン完走。ゴビ砂漠250kmマラソン完走。2017年5月エベレスト登頂。2017年9月 挑戦からわずか3年で七大陸最高峰(セブンサミット)制覇という偉業を成し遂げる。様々な体験を自ら率先して実践することで、いつもと違うことをすれば、こんなに楽しい世界になるということを、多くの子どもたちと夢を忘れてしまった大人たちにも伝えていきたいと考えている。

プライベートでは、2009年に結婚、3児の父でもある。
愛読書はナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」

星野誠オフィシャルページ:http://makoto-hoshino.com/
誠眼鏡店:http://www.makotoweb.com/

 

投稿者Profile

武井 由美子
武井 由美子RINDA foundation Japan 理事/広報
社会貢献性の高い事業に携わる小さな会社や個人事業主をサポートするPRコンサルタント。PRを通じて社会に役立つ情報を届けることで、様々な社会の差をイコールにすることを目指している。